完成披露上映会!

2014年5月18日・与那国島上映で、全国キャラバン上映は無事終了。自主上映のご案内は、こちら

2013年7月4日木曜日

解説2 趙 博 ”近現代を生き抜くという「意思」の記録”

趙 博(浪花の歌う巨人・パギやん)


 チョン・ビョンホ(現・漢陽大教授)と初めて出会ったのは1986年、京都でした。
 当時彼はアメリカ留学を終えて来日し、神戸にある甲南大学イリノイセンターの所長の職にありました。ある時、二風谷の故・萱野茂さんや札幌の小川隆吉・早苗さん家族に僕が常々お世話になっていることを話すと「留学生たちを北海道へ連れていってalternative Japan(もう一つの日本)を体験してもらおう」と即断、20人ほどのアメリカ人学生を連れて札幌、対雁、白老、二風谷を訪問し「アイヌ民族の歴史・文化・現状」を学習しました。その後も、彼の知性とセンスの良さ、何よりもその行動力に何度も驚かされたものです。
ビョンホは、韓国に帰ってからも北海道に通い続けて、僕も何度か同行しましたが、ある日「強制連行された朝鮮人労働者の遺骨発掘を日韓の学生の共同ワークショップとして行うから参加してほしい」と連絡をもらいました。これが、僕の『笹の墓標』の原点です。

 第一回目のワークショップから15年、その記録がカメラに収められていたことを最近知りました。そして、そのドキュメンタリーが9時間にも及ぶ大作になったと聞かされたとき「何故そんなに長く…」と、正直いって訝しく思いましたが、それは僕の思いが至らなかっただけで、この作品の趣旨を誤解していた浅はかな無思慮から出た錆に過ぎません。ダム工事と強制連行の歴史的経緯、そして遺骨の発掘とそれに携わった人々の記録とばかり先入観を膨らませていた僕は、9時間に及ぶドラマの展開に圧倒されました。『笹の墓標』は、国と地域、国籍と民族、そして時代を異にしながら、近現代を生き抜くという共通した「意志」の記録なのです。生者が死者と出会い、その慚愧と慟哭を共有することで、残酷な歴史を見据え、翻っておおらかな未来に向かおうとする「意志」です。様々な「意志」が、追体験などという言葉と次元を越えて観る者を揺さぶる--スクリーンの彼方と此方、現在・過去・未来を透過する壮大な9時間の旅は、文字通り僕たちの「ワークショップ(共同作業)」です。

 遺骨を掘り、洗い清め、整理し、そして遺族に返す。しかし、誰も幸せを感じることなく、無念に胸が張り裂けそうになるだけ。その苦痛の中から紡ぎ出される「ありがとう」の言葉と気持ちを、我が事として受け止めようとする「生き様」。一方で、そんなものは無意味だ、いや、元々そんな事実は無かったのだと言い放つ時代の「逆流」。藤本・影山両監督は「生き様」という縦糸と「逆流」という横糸の結び目を凝視しているのだと、僕には思えました。3・11以降、この国の「逆流」は強まるばかりで、それに抗う「生き様」が冷笑に付されようとしている…朱鞠内に埋もれていた骨は、再び忘却される運命にあるのでしょうか?
 『笹の墓標』の前に立って、あなたに答えてほしいのです。

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 趙 博(ちょう・ばく


「浪花の歌う巨人・パギやん」の異名をとるシンガーソングライター&歌劇派芸人。コンサートはもちろん、語り芸「歌うキネマ&声体文藝館」シリーズも全国で公演。代表作は『青春の門・筑豊編』『泥の河』『パッチギ!』『キクとイサム』『マルコムX』『風の丘を超えて/西便制』など。音楽劇『百年、風の仲間たち』(演出:金守珍)、二人芝居『ばらっく』(共演:土屋時子)の脚本も手がけている。CD『百年目のヤクソク』『うたの轍』、DVD『コンサート・百年を歌う』、著書『僕は在日関西人』(解放出版社)『夢・葬送』(みずのわ出版)『パギやんの大阪案内』(高文研)など多数。
公式サイト http://fanto.org

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